ブックタイトルあきる野物語 空色の旅人

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概要

あきる野物語 空色の旅人

歴史~あきる野に流れる悠久の時~History五日市憲法草案(都有形文化財)Draft of the Itsukaichi Constitution (Tangible Cultural Property of Tokyo)自由民権運動が盛んだった明治10年代、民間有志による私案の憲法である私擬憲法草案が全国各地で作られました。昭和43年に深沢にある深澤家の土蔵から発見された「五日市憲法草案」も、その私擬憲法草案の一つです。表題に日本帝国憲法と書かれた五日市憲法草案の起草者は、宮城県栗原郡白幡村(現在の栗原市)出身の千葉卓三郎。五日市勧能学校の教員として勤務し、自由民権運動の中心的組織である学習結社「五日市学芸講談会」の活動を通じて五日市の自由民権運動に影響を与えた千葉は、深沢村の豪農、深澤なおまる名生と神奈川県議会議員にも選ばれた権八親子の協力の下、明治14年に五日市憲法草案を作成したとされています。24枚の和紙に204もの条文が書かれた五日市憲法草案は、国民の権利に関わる内容も多く盛り込まれ、現在の日本国憲法に通じる点が数多く見られるのが特徴です。千葉卓三郎嘉永5年( 1 8 5 2 )~明治16年(1883)深澤権八文久元年( 1 8 6 1 )~明治2 3年( 1 8 9 0 )Remains of Residence of深澤家屋敷跡(都史跡) D- 2the Fukasawa Family (Historic Site of Tokyo)五日市憲法草案が発見された土蔵です。木造伝阿弥陀如来及脇侍(千手観世音菩薩・勢至菩薩)坐像Wooden seated statues of the Amitabha Tathagata Buddha and the flanking attendants(Senju Kanzeon Bosatsu and Seishi Bosatsu)国の重要文化財として指定されている三尊の坐像です。大悲願寺の観音堂に安置されており、いずれも木彫寄木造、漆塗で全体に金箔がおかれ、平安末期から鎌倉期にかけての作です。中でも中央の阿弥陀如来坐像は最も古く、平安期の特色をよく示しており、関東でも屈指の秀作です。この地に刻まれるいにしえの足跡Ancient trails on this land秋川流域では、古生代から新生代にかけて堆積した地層から、植物や貝類、サンゴ、古代象に至るまで、様々な化石が数多く発見されています。秋川と平井川に挟まれている秋留台地を中心に、100か所以上の遺跡が発見され、多くの土器や石器が出土しており、古代から人々が暮らしていた足跡を見ることができます。瀬戸岡古墳群(都史跡) H- 3Cluster of Tomb Moundsat Sedo-oka (Historic Site of Tokyo)大正15年の発掘調査で明らかになった7世紀代の古墳群。約50基の古墳が分布しています。横穴式石室を構築する古墳で、都内有数の群集墳であり、学史的にも重要な遺跡です。あきる野にいた古代象Ancient elephant昭和53年に網代のゴミ処分場建設現場で偶然発見されました。約3百万年前に九州から関東地方にかけて生息していた古代象のミエゾウです。全長約8 m、高さ約3.5 mもあります。西秋留石器時代住居跡(国史跡)Dwelling Sites of Nishiakiru in the Stone Age (National Historic Site)昭和7年、秋川左岸の河岸段丘上で約4000年前の縄文時代中期の敷石住居跡が5軒発見されました。床面に石が敷かれた住居跡がまとまって発見され、当時注目されました。前田耕地遺跡(都史跡)I- 4Maeda Remains of Cultivated Lands (Historic Site of Tokyo)昭和51年から59年にかけて発掘調査が行われ約13000年前の縄文時代草創期を始めとする縄文集落が発見されました。日本初の発見例となった草創期住居跡からは、クマなどの動物の骨やサケ科の顎歯約8000点が出土しています。H- 431